「ありがとう」は自分自身にかけてあげる言葉。
おはようございます(^_^)
なかピー大仏です!
今日はお休みです。
学童関係の用事があるので、
これから少し出かけます。
そのあと、
神社に行ってみたいと
なぜか思うので、行ってこようかな。
最近、自分自身の考え方を変えて、
思うことがあったりします。
お客さんの立場、従業員の立場。
それぞれあるにしろ、
ひとつのサービスを、
「当たり前」ととるか、
「ありがとう」ととるか・・・。
面白いくらいに
みていてわかることがあるのです。
バスのドライバーをしていて、
終点についてお客さんを降ろすときに、
それがいちばんよくわかります。
「ありがとうございました(^_^)」
と私はいつも言うのですが、
8割くらいの方は無言で降りてますね(笑)
昔は、
「ありがとうもいえねぇのかよー!!」
ってジャッジして
勝手にイラッとしていたのですが、
いまは、
そのときだけ、
「ありがとうございます!」
ってアファメーションをしていると
思っています。
運転しているオレ自身に
1本1本終点につくたび、無事に到着できて、
「ありがとうございます」
って声をかけていると勝手に思っています(笑)
お客さんから
「ありがとうございました!」
って聞こえたら、言い直してます(笑)
お客さんから
「ありがとうございました」って返ってこない。
そして、イラッとするのは・・・
・承認欲求が強い。
・「ありがとう」を言うべきを他人に強要している。
→→→
他人をコントロールしようとしている。
ってことだと思うわけです。
いまから思えば・・・。
と同時に・・・
電車やバスは手軽に移動できる手段として、
すごく「当たり前」の存在に
なっちゃっている部分があると思う。
お金って「感謝」が物質化したモノ。
お金を払うことで、
「ありがとう」を相手に伝えることになる。
お金を払っているんだから、
もっとああしてこうして!
っていうのはなんか間違っている。
個人的に思うこと。
電車、バスだけでなく、
ほかのあらゆるサービスにむけても同じ。
宅急便の仕事をやっていた時期もあったけど、
不在通知を見て電話をかけてくる。
ここまではいいとして、
言い方ひとつで印象って大きく変わる。
「ありがとう」の気持ちで生きていれば、
「ごめんなさい。留守にしていて・・・」
っていう言葉がまずでてきます。
「当たり前」の気持ちで生きていれば、
「不在通知がはいっていたんですけど、
いますぐもってこれませんか?」とか、
指定した時間帯(19:00~21:00とか)に不在とか。
行動ひとつで、その人となりがわかる。
最近、そんなことを思うわけです。
「ありがとう」を意識すると、
1つのことに対しても、
「ありがとう」を探すようになります。
「ありがとう」を忘れると、
1つのことに対しても、
「ありがとう」は見つけられません。
「ありがとう」という気持ちは、
そのまんま「ありがとう」って
自分に言っていること。
自分も他人も区別しない、
潜在意識さんは、
他人に言ったつもりの「ありがとう」は
自分が言われたモノと認識するから、
嬉しくなっちゃうわけです(^_^)
ありがとうの気持ちで生きると、
とても穏やかになれますよ(^_^)
そんなわけで、
そろそろお出かけしてきます(^_^)