人生は我慢大会ではございません。
みなさん、おはようございます!
しあわせガッツリコーチのなかピー大仏です。
いきなりですが、
さてさて、みなさん、
人生が我慢大会になっちゃってませんか??
我慢することによって得られるものって、、、ある?
目的がなにかあるのなら、それは我慢でなく、忍耐。
忍耐したあとに得られるゴール、
それにむかって耐えることは意味あるよね。
スポーツがいい例だよね。
娘がミニバスケットやっています。
それを例にとって説明してみると、
監督やコーチから怒鳴られながら、つらい練習に打ち込む。
そして、ほかのチームと試合したときに、
その練習の成果が発揮され、勝つことができる。
これが、ほかのチームと試合なんてしませんだったら・・・
怒鳴られながら練習する意味ってあるの?って話。
それだけだと、つらい練習をするだけという「我慢」。
ほかのチームと試合して、勝つ!
という目標がある。
それで勝てたら、嬉しいでしょう?
つらい練習に耐える=忍耐=してきたから、
つらい練習がいいものへと変わるよね。
ゴールもないのに、ただひたすら我慢することって、
結局、自分で自分を傷つけるのといっしょ・・・。
そんな悲しいことってないよね?
いま、生きていて、つらいことがあるなら、
そのつらさの先になにかあるかないかを考えてみましょう。
ここで、誤解して欲しくないのは、
自サツを勧めているわけではありません。
ほかに違った生き方をすればいいじゃんって話。
生活のために我慢して仕事をしているなら、
我慢しなくてもいい仕事で生活をしていけばいいだけ。
今の仕事を続けたくないのなら、さっさとほかいこう!
そのほうが、自分自身を大切にできるから。
ここで、自分が辞めたら、この会社どうなるんだろう?
なんて考えたら、それは強烈なブレーキにすぎません。
あなたが辞めた後の会社、
それは会社が考えることで、あなたが考えることではありません。
自分でどうにかなること?
どうにもならないこと?
どうにもならないことをいくら考えても、
答えなんてでません!
あらゆることにおいてもそうです。
自分でどうにかなるか? ならないか?
その見極めをすることが大事。
そんなわけで、ふと思ったことを今日も残しておきます。
ではでは(^_^)